保育園に向かう道の脇をちょっとした川が流れており,そこに日替わりで現われる生き物たちを毎日のように観察している.水面近くを鯉がゆったりと泳いでいることもあれば,鴨が川岸でせわしなく羽づくろいをしていることもある.息子と二人で「今日は何もいないね」などと言っていると,川面から亀が顔を出したりする.息子のお気に入りはこの亀である.
ある朝いつものように自転車から川を覗くと,水面は黒いだけで,生き物らしきものは見当たらない.前の日にたくさんいたはずの鯉はおらず,帰りがけに見た鴨たちの姿もない.亀に出会えるのはそもそも稀である.しかし目を凝らしてみると,黒く見えた水面には,小さな魚たちが無数にひしめき合っているのだと気が付いた.生き物を見つけられず残念そうにしている息子を見て,私は「よく見ると小さいお魚さんがたくさんいるよ」と促した.子どもの目線からは見えにくいかな,などと考えていると,息子はやや間をおいてから,小さく「群れだね」と言った.私はあらためて川面に目をやり,たしかに群れだなと思った.
子どもが不意に発した言葉があまりに大人びていて,こちらが驚かされるということはよくある.子どもは一見すると注意散漫なようでいて,実際には,こちらの振る舞いや言葉遣いを注意深く観察している.そして大人たちから学び取った仕草や気の利いた表現を,別の文脈で応用する機会を待っているのである.
小さな子どもがモノゴトを学んでゆく過程は大変に興味深く,傍から見ていて得るものが多い.基本的な方針は,大人のように見聞きする情報の要点だけを把握しようとするのではなく,目の前の出来事をありのままに吸収していくスタイルに見える.大人が「どうでもよい」と思うような事も,子どもは細部まで鮮明に記憶している.
母国語を含めた言語の習得については,私自身は自然と身についたような気がしていたのだが,息子の様子を見ると,思ったより能動的に学んでいるという印象を受ける.カリフォルニアに住んでいたころ,お風呂場でひとり,身振り手振りを交えながら英語の発声を繰り返している息子の小さな背中を見て,私は静かな衝撃を受けた.30代も後半戦であるが,5歳児のストイックさを私も見習わなければならない.■