寝食を忘れても

息子がトイレトレーニングをはじめたのは,たしか2歳半を少し過ぎたころだったと思う.トレーニングパンツを買い与え,トイレが主題の絵本をそれとなく読み聞かせ,アンパンマンが「応援」してくれるおまるに座らせた.

しかし息子の反応は芳しくない.そろそろトイレかな,というタイミングで声を掛けても,まったく興味を示そうとしないのである.数ヶ月が過ぎた後も,依然として息子はオムツに収まったままであった.焦った私は,パンツで生活するのがいかにすばらしいものであるかを説いたり,恥を忍んで「実演」したりもした.周りでは「一週間でオムツがとれた」などという話も聞かれたが,どこか別の世界の出来事に思えた.

当時はまだ,家族でカリフォルニアに住んでいた時期である.息子が3歳を迎えたころ,通っていた現地の保育園で参観の機会があった.園ではクラスごとのアクティビティに加えて,数時間おきに「トイレの時間」がある.担当の保育士が慣れた手付きで園児を誘うと,子どもたちはカルガモのように列をなし,保育士についてバスルームの奥へと吸い込まれていった.一方の息子はと言うと,どうやらトイレの時間を惜しんで,ブロックを使った「作品づくり」に没頭している.聞けば,遊んでいる途中でオムツが汚れようがお尻がかぶれようが,全く気に留める様子は無いのだと言う.見かねた園の方でも,一度はトイレトレーニングを試みたが,ベテランの保育士がものの一週間で音を上げる始末だった.

ようやくオムツを「卒業」したのは,3歳も終盤になってからのことである.出口の見えない長いトンネルだった.何枚の汚れたオムツを,丸めては捨てたか知れない.私も親になって,子どものしでかしたことの後始末はいくらでもする覚悟であったが,文字通りの「尻拭い」をこれだけさせられるとは思わなかった.

息子の名誉のために書いておくと,トイレに足が向かなかったのは,ひとつのことに集中しすぎてしまう性格ゆえだと思う.小さいころからそうだった.公園に連れて行けば,砂場の一角に陣取って砂遊びに没頭し,他のお友だちが何周も入れ代わる中,気の済むまで何かを作っては壊していた.ジグソーパズルが流行った時は,枕もとにパズルを常備していて,起き抜けに眠い目をこすりながら取り組むこともあった.最近では新しいレゴが手に入ると,説明書とにらめっこをしながら,食事の時間も惜しんで組み立てている.

ものごとに熱中して取り組む様子を指して「寝食を忘れる」などと言う.本能的な欲求を忘れるほどに,ひとつのことに熱中できるのはすばらしいことだ.ただ,寝食を忘れても,トイレは忘れずに行ってほしいものである.