カリフォルニアから日本に帰ってきて以来,朝と夕に息子を保育園に送迎するのが日課である.保育園の送り迎えというと,育児負担の一部として語られることが多いように思う.そういう面も多分にあるし,実際,時間と体力を奪われる事実は否定しようがない.ただ考えようによっては,これがなかなか楽しいのである.
私は車を運転しないので,もっぱら自転車での送迎になる.保育園の持ち物一式を前のカゴに放り込み,サドルとハンドルの隙間に設けた特等席に息子を乗せ,ヘルメットをその小さな頭に被せると,片道10分間ほど自転車をこぐ.これを朝晩,雨の日も,猛暑日も,繰り返す.一年間でおおよそ285日,時間にして約5700分になる.復路や保育園での時間を含めれば,拘束時間はその3倍は下らないだろう.この時間を「作業」と捉えればたしかにつらい.しかしそれも,息子と向き合うことのできる「貴重な機会」と考えれば,途端に有り難いものに思えてくるから不思議である.
家でも子どもの相手を四六時中しているのだから「貴重な機会」などと大袈裟に言うことはない,と思われるかもしれない.もちろん,物理的に一緒にいるという意味では,子どもと過ごす時間はありふれている.しかし腰を据えて二人で会話を交わす機会というと,実はそれほど多くない.家でゆっくり話をしようにも,子どもはすぐ別のことに気を取られてしまうし,逆に私が家事などをしていて,相手をしてやれないということもままある.
それが自転車に乗っている間は,二人の間に自然と,会話をする雰囲気が生まれてくる.息子にもそれが分かるのか,家で一緒に過ごすだけでは聞かせてもらえなかったような,いろいろな話をしてくれる.何日もかけて(おともだちに壊されながら)カプラで大きなタワーを作って先生に褒められたこととか,前の日にお母さんが甘いお菓子をこっそり食べていたのを見つけた話とか,今度おじいちゃんにいちご味のドーナッツを買ってもらう(そしてお母さんに半分あげる)計画とか,保育園で消防車の音が聞こえて家が火事なんじゃないかと心配してしまったこととか.
もちろん,いつも会話が弾むというわけではなく,息子の気分が乗らない日もある.逆に私のほうが仕事のことで頭がいっぱい,などということも無いではない.それでも,自転車の上で息子と向き合った長くて短い時間たちは,今でも大切な思い出として心の引き出しにしまってあるし,私の人生を彩るかけがえのないエピソードとして,これからも記憶に残り続けるのだと思う.■